GOLFで夫婦円満

J・H曰く~「このゲームを単なる娯楽とみなす者にはGOLFは永遠の謎となるだろう」

 

2年ほど前に家内が私の知らない間にゴルフスクールに通っていたことが発覚した。発覚したという表現を使うのはまさしく「ばれた」からである。ある日会社から帰宅すると、家内が病院に行くという。結婚以来わたしの知る限り家内は病気、ケガをしたことがなく、ひそかに「こいつは不死身のサイボーグか」と腹の中で思っていたので、家内の「病院にいきたい」という言葉がにわかに信じられなかった。愚妻といえどやはり心配なので、どうしたのか聞いてみると左腕が痛いと言う。夫婦とは面白いもので長く生活を同じくしていると言葉のフレーズに脈打っているリズムに微妙な変化が発生しているのに気づくものでる。問い詰めると以前からひそかにゴルフスクールに通っていること、インストラクターに飛距離を伸ばすため左腕主体でスイングするよういわれ、トラック一台分の球を打ったら腱鞘炎になったらしいとしぶしぶ白状した。この先の夫婦のゴルフ顛末記は次回ということにして、今回はゴルフに関して最近よく尋ねられる質問に感じることを整理してみたいことがあり、またそのことがゴルフをされる方に少しでもお役にたてればというのが今回のブログの趣旨となります。

 

ゴルフに関しよく聞かれることは大別して、スイングとルールとなります。今回整理したいのはルールのことです。またルールに関連してエチケットがあります。

 

1.ルールとは、ゴルフを最後まで楽しむための救済措置

2.エチケットとは、ゴルフを快適にプレーするための知恵

 

いろいろな方々を拝見していますと、ルールの成り立ちをを誤解されていらっしゃるよう感じます。人間社会における規則や法律なような犯すと罰則を科せられるという認識をお持ちなのです。ゆえに自分はルールにのっとった正しい措置をしているのかという不安におびえているような言動をされます。確認していただきたいのはゴルフのルールとは、プレー続行不能の状態に陥った時にそれでも最後までプレーできるようにした救済措置のことなのです。ただしペナルティ(この言葉が良くない)が科せられますが、かりに3番ホールでアンプレアブルの状態に陥りプレー続行不能になりクラブハウスに戻ることを容疑なくされる場合、1打か2打スコアカードに数字を多めに書けば18晩までプレーを終えることが可能となるわけです。ただし、状況に従って正しい救済措置をとるためにはルールを的確に把握しなければいけません。ゴルフには審判がいませんので、自分で自分に措置をしなければならないのです。「ルールブック」をお持ちですか? オリンピックと同じ4年に1回改訂されます。私はいつもキャディバッグに入れてあります。なぜ持ち歩いているのかは後述いたしますが、この「ルールブック」は日本語とは思えない奇奇怪怪な文章が連なっており、必要な時に読みましても的確な答えを見出すことはほぼ不可能に近い内容です。ゆえに普段ひまつぶしに読んでおき、使い慣れ手あかのついた辞書のように必要な頁をすぐに開けることができるよう慣れておく必要があります。自らを助けるための武器となりますのでめんどうがらずに自分にとって重要と思われる頁はしおりを貼りつけるようにすれば重宝します。

 

実はルールのひとつに興味深い現象があります。ルールは多肢にわたりますが、それらのルールを適応する状況はほぼ発生しません。ただし4人1組でラウンドすればほぼ確実に自分でなくとも同伴プレイヤーに発生する措置があります。それはカート道やサブグリーンにスタンスがかかる際の無打罰のドロップの対応です。不思議なことにゴルフをされる方はほぼ日常的に遭遇する状況ににもかかわらず正しい措置をシングルプレイヤーを含めほとんどの方々が知りません。このブログを読まれているあなたは知っていますか?知っていると思われる方ももう一度確認されてください。間違っているかもしれませんよ。私はほとんど一人でゴルフをしますことからいろいろな方々との出会いがありますが、拝見しますと正しい措置をなされる方は100人に1人ぐらいです。実は以前競技中にこの措置の仕方で不快な思いをしたことがあります。決勝の最終組で1位と1打差で2位につけていましたが、たまたま私のマーカーが1位の競技者で、このドロップの対応を正しくおこなったにもかかわらず再ドロップを要求されました。正しくドロップされたボールはすでにインプレーになりますのでピックアップすればペナルティとなることから拒否しつつ、その競技者にルールの認識に誤りがあると指摘すると言い争いになってしまいました。この競技者はシングルプレイヤーであるにもかかわらずマーカーは審判ではないことさえ知らないようでした。上記のいつもルールブックをキャディバッグに持参している理由はこのような争いを回避するためなのです。

 

ゴルフという競技は繰り返しますが審判がいません。その理由としてゴルファー性善説がありますが、そうではなく私はルールは罰するために存在するのではなく救済措置であることから審判は必要が無いと思っております。逆に言えばルールを的確に把握しているゴルファーほど有利にプレイできるということです。先ほどのドロップの処理に戻りましょう。ティショットが左に曲がったとしましょう。行ってみればOBぎりぎりで止まっています。ただしOB杭のすぐ外側にネットが張ってありスタンスがとれません。OB外にある人工物に対しては救済措置がとれません。しかし正面にカート道があれば左打ちを試みる場合スタンスがカート道にかかるので無打罰でドロップできます。しかもドロップした後で結果として右打ちができるのなら右打ちをして良いことtなります。どうですかルールはこうすべきを表しているわけではなく、困った時にこうすればとプレイヤーに助けの手を差し伸べているのです。ルールのことで同伴者ともめることはありません。私は同伴者が間違った措置をしても何も言いません。それが競技中であっても。アラカンは人生残りのゴルフをいかに楽しく快適にプレイできるかだけを念頭に置くべきです。ルールはそのために熟知したほうが良いと思います。そう思いませんか。

 

ながくなりそうなので私が感じる「エチケット」は次回ということで。