奈良県にお詫びを言いたくて

旅行が好きで仕事をさぼっては頻繁に遠方に足を伸ばしています。ある日いつも買い物をするアウトドア専門店のNorth Face堀江店で店員をあいてに旅行話に花を咲かせていたところ、なぜ関西圏には訪れることをしないのか詰問されてしまいました。旅行とは飛行機で何時間も苦痛を味わい目的地にたどり着くことだと思い込んでいた自分の愚かさに気づかされ、慌てて調べてみると行かねばならない場所があるはあるはで、とっかかりとして奈良県、和歌山県、三重県にまたがる観光スポットの中から熊野古道ならびに大台ヶ原を制覇しようと旅行計画を立てることにしました。まずは宿屋探しだとインターネットで調べていますととある宿屋のホームページで気になる文言とであいました。

 
その文言とは.........
 
田舎懐石料理
 
【夕食料理】
まず最初に奈良県には海がございません・・・。
○○屋の自慢は海の魚を使わない山の幸、川の幸(あゆ、あまご、うなぎ、 川マス、わらび、ふき、ぜんまい、ごんぱち(いたどり)きのこ類、鹿肉、猪肉、 鴨、きじ)を使い、13品ないし15品を取り揃えた素朴な田舎会席料理は大変好評を得ています。
 
【朝食】
温泉茶粥を主にした田舎料理です。
 
当該旅館の料理の紹介文の一部です。
 
地元で入手可能な食材で精一杯客をもてなしたいとの誠実な思いが感じ取れます。また、日頃贅沢な食事を甘受している人々にはたまの田舎料理は新鮮で好まれるものとおもわれます。しかしながら私が気になりましたのはその文脈から満足な料理を客に提供できない「ひけめ」のような屈折した思いも受け取れるような気がしたからです。私にはどうしても「田舎」と「懐石」という言葉がマッチングしません。
 
海に面していない地域は当然ながら新鮮な海の幸が入手できず、ゆえに古より食が貧しいものであり、いかんしがたいものであります。その際たる地域のひとつが奈良県です。奈良といえば奈良漬けや柿の葉すしが脳裏にまっさきに浮かびますが、私は長野県や福岡県の奈良漬けの方がお気に入りで、柿の葉すしは私は好みですが保存食であり料理の範疇に属するのか疑問があります。また茶粥がもてはやされてはいますが、江戸 の初め、お茶の産地だった奈良では、上納したあとに残ったお茶で炊いたお粥が茶粥の始 まりだといわれており、また「お水取り」で知られる東大寺二月堂修二会の練行僧の食事に出 される「茶飯」が広まったともいわれています。どちらにしましても茶粥は元来貧粗なものであり、とても料理とはいえない代物であるいえます。ただしその質素さが寺院めぐりとイメージが合致し、観光客は喜んで食しているわけであり筆者がとやくいうことはありませんが、筆者はその地その地でしか味わえない料理を食すことが遠出する楽しみの必須条件となるがゆえにわざわざ足を運ぶほどの料理がない奈良には観光に出かける気にはなりません。
 
それでは魅了される食事処が奈良には一つもないのかと問われるとそうではありません。真っ当な日本料理屋、イタリア、フランス料理店が数多くあります。その一例として読者は奈良町にある蕎麦屋「玄」をご存知でしょうか。店構えには風情があり、素晴らしい「芸術的な」お蕎麦を供される日本有数のお蕎麦屋さんです。それでは何が問題なのか? 問題はこれらの素晴らしい料理は実は奈良以外でも味わうことができるからです。くどいようですが、奈良に行かねば味わえないような美食がないことが問題なのです。
 
そうです。そのことが問題だと思っていました。
 
......................ところが先日、奈良在住の知人が突然当社に現れ、粗末なものだがといいつつ和菓子を手渡されました。当人は真剣な顔つきで、「すぐに食べろ」と脅迫めいた口調で開封を促してくるため、仕方なく会社を早退し、自宅に戻り家内といただくことにしました。自宅で開封しましたところ中にはきちんと整列しながら鎮座している10本の串団子があり、1本の竹串には団子が5個刺されており、きな粉がただまぶされている見た目はシンプルな「きな粉団子」でした。早速一口いただくと「仰天」しました。たかがきな粉団子にこれほどの深い味わいが秘められておろうとは.......!!!! 無我夢中で家内と3本ずついただき「はっと」我に返り、その所要時間はおそらく30秒程度だと思われますが、全部たいらげるにはもったいないと気づき、次の日に残りをいただくことに決め、4本大事にとっておきました。
 
翌日は土曜日だったので昼食後楽しみに残しておいたきな粉団子をいただくこととなりました。気持ちの高ぶりとともにまずは一口。が〜〜〜〜ん.....そのときの驚きはどのように表現したらよいのか............。初めてホラー映画の「エクソシスト(The Exorcist)」を観たときに、そのふくよかで可愛いリンダ・ブレアが悪霊に取り憑かれ、おぞましい姿に変貌し、突然ベッドの上でその首が360度回転した時にその恐怖のあまり映画館の座席から飛び上がったことが記憶に刻まれてしまって今でもそのことがトラウマとして残っていますが、そのトラウマが全身を苛むほどの驚きといえましょう。あまりの味の劣化の激しさに家内と私の間に永き沈黙が続き息づかいだけがなぜか大きく聞こえたのは気のせいかもしれません。ちょっと大げさな表現になってしまいましたが、前日いただいたきな粉団子とは似て非なる凡庸なきな粉団子が目の前に横たわっていました。
 
この現象は私たち夫婦に筒井康隆がいうところの「うろがくる」、心理学でいうところのゲシュタルト崩壊を生じさせるに充分な出来事でした。フッサールの現象学が示す「意識」と「対象」が常に相関関係にあるとするならば、「意識」である私が最初に食した際のあまりの感動に本来以上の虚構にもとづく強い美化意識が芽生えてしまったのか、あるいは「対象」であるきな粉団子が本当に一晩でこれほどの激しい変化を見せたことに「意識」が戸惑うことになったのか。またはメルロー=ポンティの現象学がいうところの「記号」である言語による「きな粉団子」という共有認識から逸脱した味覚の衝撃に心的にカオスが渦巻いたのが一晩で揺れ起こしが発生し、「意識」が記号で認識していた「きな粉団子」であると自覚することで平静を取り戻そうとしたのか。この謎を解明するには現象学が批判した論理実証主義の手法を採用すべきではないのか? 簡単にいえば意識に生じた混乱を排除するには学術本を引っ張りだすより手っ取り早くきな粉団子を製造しているお店に行ってみるのが最善ではないのか?

幸い翌日は日曜日だったので、朝早く家内とお店に出かけることにしました。その日は快晴で絶好のドライブ日和です。ナビにはお店の位置をバッチリ入力したので道に迷う心配もありません。そうです。心配などみじんもないと信じていました。鼻歌まじりのドライブのはずでした.........。ところがお店に近づきますと、田んぼが広がってきており、途中の道は徐々に細くなり、あぜ道となり、右に曲がればよいのか、左なのか、真っ直ぐに進むべきか、ナビは混乱の極地に陥りわけのわからないことを口走り、ラピュリンスの迷宮という言葉が頭脳をよぎり、そのうえよりによって対向車が来れば譲り合わなければならず身動きができない状況にたまりかねて、「団子屋は寺社の前に店をだすべきだろう。なぜ春日大社や大仏殿や法隆寺の前などのわかりやすいところに店をださないのだ」と怒鳴りだす始末。隣の助手席を見ると家内は「我関せず」と涼しい顔。怒りが頂点に達する直前、家内がポツッと「あなた今お店通り過ぎたわよ」と言うのでバックしてみると、ただ「御だんご」と書かれた何の変哲もない外観のお店であることすらわからない団子屋がありました。怒りというものは徐々に蓄積し頂点を迎えるものだが、冷静さは取り戻すのに一瞬だということがいつも不思議だなと感じてはいますが、何もなかったがごとくまずは無事到着。

店内に入ると、外観と同じくこれまた和菓子屋らしくない飾り気のない質素なお店です。朝早くに到着したためか、お店に人影はなく、そのためにお店の様子を落ち着いて眺めることができました。テーブル等はなく、長椅子があるだけです。ショーケースらしきものもなく、御だんごも陳列されておりません。ただ白壁に店主の言葉が飾ってありました。
ーーーー
角がとれてまん丸くしかも一本筋をとおす
こんな人生でありたいと願い乍ら心をこめて丸め一本一本丹精に串さしいたしております。
だんご理屈でしょうか
よろしくご賞味くださいませ
店主啓白@御だんご
ーーーー
短い言葉ですが、ご主人の気持ちが込められ、来客にほのぼのとした清楚感を与えます。
 
落ち着きを取り戻し早速御だんごを注文してみます。機械らしき設備はなく、ただ擂り粉木のような気の棒が数本と漆塗りのような木製のボールが2つあるだけの殺風景な厨房で二人の女性が黙々と串に御だんごを刺し、それを蜜にひたしきな粉をまぶす作業をこなしています。たまらず店内で1本いただきました。柔らかさと弾力の調和した食感、やさしい甘さの蜜の味わい、国産の大豆を炭火で煎ったというきな粉のあふれるばかりの香り、おのおのが主体でありながら主張しすぎず三位一体となることでさらに個々の魅力を引き出し合う素朴で奥深い素晴らしい味わいです。味わいながら遠路はるばる来ることになった謎も解明できた気がします。「日持ちがしない」というより「時間もちがしない」理由としては秘伝と言われる蜜を団子にからめてきな粉をまぶすことでこの蜜が時間とともに「悪さ」をしているようです。このことはもちろんすぐにわかることです。ただこのことだけではあの凄まじい味の劣化の原因ではとは言い切れません。お店でできたてをいただくことでわかったことがあります。このお店では天然の風味を生かすために添加物、着色料、合成保存料はもちろん一切使用されておりません。だから日持ちがしませんではありません。食した時に思ったのですが、どうも砂糖を使用していないようです。一般的な御だんごは砂糖を20%前後使用されることがあります。理由としては甘さを出すことがあるでしょうが、実は砂糖は保存料の代わりに使用されていることが多々あります。こちらの御だんごの素朴な甘さ、きな粉の上質な甘さ、蜜の気品のある甘さは日頃接している砂糖の甘さとは距離を置くものです。私の独断的な推察でしかありませんが、砂糖すら使用しないことがあの「激変」の主たる原因だと思われます。読者の方々も奈良県にお寄りの際は是非共こちらのきな粉団子をご賞味いただき、私の推察が正しいかご判断いただければ幸いです。
 
このブログの趣旨は奈良県の方々にお詫びをしたいがためです。料理ではありませんが、奈良は訪れねば味わえない素晴らしい和菓子の宝庫だとわかりました。<申し訳ありませんでした...。> これからは機会があれば散策にお伺いさせていただきます。
 
おっと肝心なことを忘れるところでした。このお店の名前は「扇屋」さんで、五位堂にあります。
 
 
 
 



GOLFで夫婦円満

J・H曰く~「このゲームを単なる娯楽とみなす者にはGOLFは永遠の謎となるだろう」

 

2年ほど前に家内が私の知らない間にゴルフスクールに通っていたことが発覚した。発覚したという表現を使うのはまさしく「ばれた」からである。ある日会社から帰宅すると、家内が病院に行くという。結婚以来わたしの知る限り家内は病気、ケガをしたことがなく、ひそかに「こいつは不死身のサイボーグか」と腹の中で思っていたので、家内の「病院にいきたい」という言葉がにわかに信じられなかった。愚妻といえどやはり心配なので、どうしたのか聞いてみると左腕が痛いと言う。夫婦とは面白いもので長く生活を同じくしていると言葉のフレーズに脈打っているリズムに微妙な変化が発生しているのに気づくものでる。問い詰めると以前からひそかにゴルフスクールに通っていること、インストラクターに飛距離を伸ばすため左腕主体でスイングするよういわれ、トラック一台分の球を打ったら腱鞘炎になったらしいとしぶしぶ白状した。この先の夫婦のゴルフ顛末記は次回ということにして、今回はゴルフに関して最近よく尋ねられる質問に感じることを整理してみたいことがあり、またそのことがゴルフをされる方に少しでもお役にたてればというのが今回のブログの趣旨となります。

 

ゴルフに関しよく聞かれることは大別して、スイングとルールとなります。今回整理したいのはルールのことです。またルールに関連してエチケットがあります。

 

1.ルールとは、ゴルフを最後まで楽しむための救済措置

2.エチケットとは、ゴルフを快適にプレーするための知恵

 

いろいろな方々を拝見していますと、ルールの成り立ちをを誤解されていらっしゃるよう感じます。人間社会における規則や法律なような犯すと罰則を科せられるという認識をお持ちなのです。ゆえに自分はルールにのっとった正しい措置をしているのかという不安におびえているような言動をされます。確認していただきたいのはゴルフのルールとは、プレー続行不能の状態に陥った時にそれでも最後までプレーできるようにした救済措置のことなのです。ただしペナルティ(この言葉が良くない)が科せられますが、かりに3番ホールでアンプレアブルの状態に陥りプレー続行不能になりクラブハウスに戻ることを容疑なくされる場合、1打か2打スコアカードに数字を多めに書けば18晩までプレーを終えることが可能となるわけです。ただし、状況に従って正しい救済措置をとるためにはルールを的確に把握しなければいけません。ゴルフには審判がいませんので、自分で自分に措置をしなければならないのです。「ルールブック」をお持ちですか? オリンピックと同じ4年に1回改訂されます。私はいつもキャディバッグに入れてあります。なぜ持ち歩いているのかは後述いたしますが、この「ルールブック」は日本語とは思えない奇奇怪怪な文章が連なっており、必要な時に読みましても的確な答えを見出すことはほぼ不可能に近い内容です。ゆえに普段ひまつぶしに読んでおき、使い慣れ手あかのついた辞書のように必要な頁をすぐに開けることができるよう慣れておく必要があります。自らを助けるための武器となりますのでめんどうがらずに自分にとって重要と思われる頁はしおりを貼りつけるようにすれば重宝します。

 

実はルールのひとつに興味深い現象があります。ルールは多肢にわたりますが、それらのルールを適応する状況はほぼ発生しません。ただし4人1組でラウンドすればほぼ確実に自分でなくとも同伴プレイヤーに発生する措置があります。それはカート道やサブグリーンにスタンスがかかる際の無打罰のドロップの対応です。不思議なことにゴルフをされる方はほぼ日常的に遭遇する状況ににもかかわらず正しい措置をシングルプレイヤーを含めほとんどの方々が知りません。このブログを読まれているあなたは知っていますか?知っていると思われる方ももう一度確認されてください。間違っているかもしれませんよ。私はほとんど一人でゴルフをしますことからいろいろな方々との出会いがありますが、拝見しますと正しい措置をなされる方は100人に1人ぐらいです。実は以前競技中にこの措置の仕方で不快な思いをしたことがあります。決勝の最終組で1位と1打差で2位につけていましたが、たまたま私のマーカーが1位の競技者で、このドロップの対応を正しくおこなったにもかかわらず再ドロップを要求されました。正しくドロップされたボールはすでにインプレーになりますのでピックアップすればペナルティとなることから拒否しつつ、その競技者にルールの認識に誤りがあると指摘すると言い争いになってしまいました。この競技者はシングルプレイヤーであるにもかかわらずマーカーは審判ではないことさえ知らないようでした。上記のいつもルールブックをキャディバッグに持参している理由はこのような争いを回避するためなのです。

 

ゴルフという競技は繰り返しますが審判がいません。その理由としてゴルファー性善説がありますが、そうではなく私はルールは罰するために存在するのではなく救済措置であることから審判は必要が無いと思っております。逆に言えばルールを的確に把握しているゴルファーほど有利にプレイできるということです。先ほどのドロップの処理に戻りましょう。ティショットが左に曲がったとしましょう。行ってみればOBぎりぎりで止まっています。ただしOB杭のすぐ外側にネットが張ってありスタンスがとれません。OB外にある人工物に対しては救済措置がとれません。しかし正面にカート道があれば左打ちを試みる場合スタンスがカート道にかかるので無打罰でドロップできます。しかもドロップした後で結果として右打ちができるのなら右打ちをして良いことtなります。どうですかルールはこうすべきを表しているわけではなく、困った時にこうすればとプレイヤーに助けの手を差し伸べているのです。ルールのことで同伴者ともめることはありません。私は同伴者が間違った措置をしても何も言いません。それが競技中であっても。アラカンは人生残りのゴルフをいかに楽しく快適にプレイできるかだけを念頭に置くべきです。ルールはそのために熟知したほうが良いと思います。そう思いませんか。

 

ながくなりそうなので私が感じる「エチケット」は次回ということで。

アラカンの情報整理術(追記)

何故iphoneではなくipod touchを選択したのかを説明するのを失念しましたので追記させていただきます。

 

1.バッテリー容量の問題

2.多機能=操作性複雑化

3.携帯性

 

ipod touchを選択した最大の理由は1.のバッテリー容量となります。iphoneipod touchも連続使用時間は公称5時間位となっておりますが、使い方によってはこれより短いのが現状です。。現在第三世代のプリウスを愛車にしておりますが、トヨタのカタログでは38km/ℓと記載されています。しかし、後続車の迷惑も顧みず燃費第一主義で走行しても21km/ℓが関の山です。専用のテスト用サーキットにおけるプロのドライバーがたたき出した数値なのでしょうが、当社が当社の製品に同じ理屈で耐久性などの数値をカタログに記載すれば、顧客からクレームが殺到するのは必至です。顧客をだましているとは言いませんが、誠実性に欠けるのではとたまにですが思ったりはいたします。話がそれて申し訳ありません。自分の行動パターンを分析いたしましら、日常の通常使用時間は1回10分程度、1時間以上使用するケースは稀で、乗り物を交通手段として利用しているケースのみであり、関東以北、九州以南は飛行機、東京範囲、福岡範囲は新幹線を利用しており、新幹線の2時間半での連続使用がMAXであることが判明しました。ということになりますと、連続使用が余裕で3時間可能でなければいけないことになり、携帯電話機能がメインであるiphoneを選択すれば、電話中に「電池が無くなりそうなので切ります.....」という事態に陥る不安が払しょくできませんでした。当然何か記憶させねばならない事がその後生じてもため息が出るだけとなります。どっちつかずになります。アラカンに近づくにつれ、生活リズム、上着などの服装、財布の中身などが規則正しく、またゆったりとしてきました。バッテリーが減ってきて余裕が無いとストレスを感じます。身体によくありません。携帯電話は電話機能に特化、ipod touchは記憶に特化すれば相互に悪影響を及ぼさないという理屈です。

 

2.は1.とも関連しますが、年をとると多機能であることが苦痛になります。当然操作が複雑になるからです。多機能な使い方はそれがための有効な操作方法を熟知し、覚えなければなりません。覚えることが苦手な年代であるからこそ記憶のためにipod touchを利用することを決めたのであり、iphoneでは無理となります。その理由は単純明快です。使っても使わなくとも毎月課金されるからです。そうなると余裕があり大した費用でなくとも、常時電話、インターネットを使わなければいけないような脅迫観念に陥り、多機能性の計略にはまります。そうなると1.のバッテリーの問題にジレンマが発生し、複雑な操作を覚える必要性が発生し、またそうなると本来の目的の区別がつけられず、ドイツの天文学者メビウスの唱えるところの「クラインの壺」状態となり、自分の向きがわからなくなくなります。

 

次に携帯性ですが、iphoneよりipod touchの方が厚さが薄くなります。シャツあるいは上着のポケットに入れた場合歴然な差があります。操作性にわずらわされないよう1機種1機能を志していますとこの携帯性が重要課題となっております。ちなみに私が愛用しています携帯電話機はシャープの「SH-02B」となります。選択理由は電話をかけられること、BLUETOOTH機能があるということで、他に何も目立ったものはありません。 ただフォルムは秀逸で、ポケットにスポッと入ります。現在、携帯電話、ipod touch、ポケット手帳、二つ折り財布(吉田カバン)をポケットに入れあらゆる場所をぶらぶらできる快適さを享受している日々この頃です。

 

 

アラカンの情報整理術ーipod touch

J.M.曰く ~ 「忘却とは人が最も感謝すべき天賦の才である」

 

来年には60歳になります。今風で言うところの「アラカン」の仲間入りということになります。私どもベビーブーマー第二世代の方々の大部分がそうであるように、私は「還暦」が何なの、と自分に当てはめがたい、もしかすれば「おれだけはまだ若い」と現実認識からの乖離を無意識に図っているのかもしれません。どうであれやはり年のせいでしょうか最近記銘・保持・再生という記憶の各段階のいずれかに障害が起きて記憶力が顕著に落ちていることが早急に対処すべき課題となっておりました。その解決法として白羽の矢をたてたのが、アップル社の、ipod touch でした。以前よりその存在は知ってはおりましたが、過去 IBMのworkpad等のPDAを購入し役にたたず、いわゆる「どぶに金を捨てた」経験上慎重になっていました。しかし、早急に側頭葉内の海馬の機能を補完する必要があり、また数ヶ月前にハード、OSともにバージョンアップされたこともあり、意を決して購入いたしました。ちなみに32G仕様となります。

 

この数カ月ipod touchを使っていて感じましたことは、くせ者だということです。色目を使ってささやいてきます。「........おじさん、おじさん、私を使ってインターネットでWEBしません、メールはいかがですか、スケジュールや交友関係の方々のアドレス管理も私が秘書となってお役に立てますがいかがなされますか?あ、そう、そう.....おじさんのお好みの音楽は70`sのロックやポップスですか、それとも知性がおありのようなのでクラシックあるいはジャズがよろしいですか?うふ、動画もOKですよ。言おうか言うまいか迷っていましたが実は私の一番得意なのはゲームなのですよ、まだご不満がおありでしたらお店、appre storeというのですがすぐ近くですので同伴しません。そこでお好きなアプリケーションを買っていただいて私をオジサン好みにかえていただけませ~ん。いや~あん、恥ずかしい」とばかり。アラカンたるもの若い時に幾度となくこの手にだまされて苦い経験をお持ちでしょう。毅然とした態度で無視しましょう!

 

本題です。私はipo touchを崩壊しつつある記憶能力の補完手段としてのみ用いております。まずは付属の「カレンダー」の予定の最後にあるメモにその日おこなったこと全てを記入します。やはり付属の「連絡先」に出会った方々の電話、住所、どういった関係かを書き留めます。これで過去の記憶を安心して忘れます。次に情報の整理はこれまた付属の「メモ」を用います。このメモは時系列に並んでいきますので暇な時に読み返して古いものから削除していきます。いつまでも削除されなかったものは私にとって重要な情報ということになります。時系列にとらわれない情報は有償の「マギノート」を愛用しています。ジャンル、たとえばいつかいってみたい料理店やパスワードの感知等を作成してビシバシ迷わす放り込んでいきます。記憶容量が32Gですよ。テキストなどいくら放り込んでもどうってことありません。あとは直近でしたいこと、買い物、見たい映画などは無償ソフトの「mShopping}を利用しています。今のところ記憶が必要なことは全て ipod touch にまかせておけるようになりました。もっと自分にあったソフトがあるのではと思わない事です。迷いの森で時間とエネルギーをロスしてしまいます。繰り返しますが、周著せず日々の情報を蓄積するにはシンプルなこれらのソフトがストレスがなく最適です。

 

 アラカンは記憶という作業を誰かに代わってもらうという1点で ipod touch は優れた機能を持っております。いつも肌身離さず持ち歩いております。といいつつもやはりちょっと寂しいので、好みの音楽を何曲かコピーし出張の際に新幹線の中で楽しんだり、Blueetoothで車のナビと接続してスピーカーで聞いたりしております。また「skybook」で「青空文庫」から太宰治や芥川龍之介等の青年のころ愛読した文庫をダウンロードして地下鉄などで読書を楽しんでおります。片手でタップすればページが変わりますので吊革を持っていましてもスムーズに読めますので、足腰が弱っているアラカンには急停車のため吹っ飛ばされない安心から最適と思われます。 ちなみにダウンロードはWi Fi経由です。たまたまFreeSpotなどがあった時にまとめてダウンロードします。BBmobile等の有償無線LANに加入すればインターネットでやれGoogleやメールややれ株価はどうなっているか振りまわれることになり記憶を任せるということの初心貫徹がゆるぎかねなくなりますので加入しません。そんなものはパソコンでします。またメールのチェックに追われる年代でもありません。

 

最後になりますが、ipod touchとともにシステム手帳(firoFAX)あるいはポケット手帳(MOLESKINE)を持ち歩いております。これは、ipod tochでは入力の暇が無い時、またやはり60歳にもなろう人物が人前でipod touchにちょこちょ入力する姿を見られるのが気恥ずかしいからです。当然書き留めた情報は後でipod touchに放り込みますが。ちなみに、モレスキン手帳はポストイットを手帳のポケットに入れておき利用しております。モレスキンはちょっと手帳としては高価なのでポストイットに書き留めページに貼り付けますのでいつまでも新品のままです。

 

60歳前後の人の ipod touch利用法は現役の人とは当然違った方法となります。ちまたにはiponeやipod touchの利用法等の情報誌があふれておりますが、われわれアラカンは対象にはなっていない部分があります。まだ数カ月しか使っておりませんが、今後ベターな利用法があればブログさせていただきますので、たまにお付き合いください。

 

好奇心

今日は久々の土曜休みというのに年寄りの悲しさで早朝から目が覚め、何気なくテレビの電源を入れると「幸せのレシピ」という映画が流れていました。料理映画というジャンルには名作が数多く、この映画もまたそのひとつといえる名作です。ただし、実はこのジャンルのほとんどは主人公が創る料理のもつ豊かさ、変化、驚きなどが見る人の心を揺さぶり、マンネリした脚本、演技、音楽、撮影などの要素をカバーしているとも言えるかもしれません。その意味では手抜きの映画ではありますが、映画鑑賞は「感動した」方がお得ですので、あまり頭脳をつかって論理的な批評を試みるより、感情的になって笑ったり、涙をそっと流したりしましょう。

 

ところで皆さんはやはり料理映画ですが「バベットの晩餐会」は見られましたか?私の推薦するベスト映画のひとつです。この映画の紹介としては素晴らしいレビューを発見しましたので次に転記します。

 

この作品は、86年の米国アカデミー賞受賞作品『愛と哀しみの果て』の原作者として知られるデンマークの女流作家カレン・ブリクセン女史の同名小説を、同じくデンマーク出身のガブリエル・アクセル監督が自ら脚本を書き上げ映画化、それまで取り上げられることの少なかった『食』をテーマにした上質な作品に仕上げ、88年の米国アカデミー賞外国語映画賞を獲得しています。
映画は、北欧デンマークの海辺の寒村を舞台に、厳格な牧師だった父の遺志を継いで神に仕える道を選んだ老姉妹マチーネとフィリパの慎ましやかな日常から始まります。そして、二人のもとに身を寄せるフランス人の召使いバベットが数奇な運命の末にこの家に住み着くまでのエピソードが、映画の前半を通して淡々と語られていきます。その間、この映画の特徴とも言える僅かに青みを帯びたアンティークな映像からは、北欧の地に根差した敬虔なプロテスタントの人々の実直な暮らしぶりがリアルに伝わり、あたかも華美を嫌ったフェルメールの絵画を思わせる居心地のよさを感じさせます。映画は中盤、バベットのもとに届いた一通の手紙が発端となり意外な展開を見せ、この映画のクライマックスとも言うべき牧師の生誕100年を祝う晩餐会へと移っていきます。かつて、パリの最高級レストランで天才料理長として名を馳せたバベットが腕によりをかけて拵えた芸術作品ともいえるフランス料理によって、『最後の晩餐』を暗示させる12人の客人ひとりひとりが心豊かに満たされ、忘れかけていた牧師の大切な教えをその胸のうちに呼び覚まされるという大団円の描写は圧巻で、観る者すべてに満ち足りた幸福感をもたらします。

 

良いレビューですね。この映画の内容を簡潔に表現しています。しかし私がこの文章を無断で転記した理由は別にあります。実はこのレビュー以外のほとんどのレビューには、「パリ・コミューン」という単語が記されています。主人公が迫害され、フランスからこの小さな村に追放されたのがこの時期となります。映画内ではこの時代がどのような時代であったのか、また何故主人公は追放されたのかほどんど語られてはいません。私が感じますのは、ほとんどのレビューが「パリ・コミューン」という言葉を年号のように軽く取り扱っていますが、実は現代史にも重大な影響をいまだ与え続けている歴史上の泡のように消えた悲劇的な社会体制といえるかもしれません。世界にその栄華を誇ったナポレオン時代からフランス革命、その後の混乱期の一時期の「パリ・コミューン」ならびにその崩壊過程の一時代のフランスの歴史を学ばれてからこの映画を鑑賞しますと独特な色彩をはなつ映像の重厚さと歴史の重さが重なりより堪能できると思います。少しの=好奇心=があれば映画をもっとお得に鑑賞できる一例です

 

今日はこれから「ターミネーター4」か「スタートレック」を見に行く予定です。私は名作、大作よりこちらのほうが好きです。